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良心をもたない人たち – 25人に1人という恐怖

世の中には2種類の人間が存在する。「サイコパス」と「それ以外」だ。


この本は、実際にサイコパスに遭遇した人にとっては、腑に落ちることが実に多いだろう。そして、サイコパスという存在の本質を見事にえぐり出すだけでなく、世の中の「人」を取り巻く仕組みの一片を照らし出す良書だ。


これから遭遇する人にとっても、プラスになる内容だ思う。ただ、まだ会ったことがない人にとっては、にわかに信じがたい話ばかりだと思うが...。

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良心をもたない人たち

「良心をもたない人たち」はこんな出だしで始まる。

想像してみてほしい - もし想像がつくなら、の話だが。


あなたに良心というものがかけらもなく、どんなことをしても罪の意識や良心の呵責を感じず、他人、友人、あるいは家族のしあわせのために、自制する気持ちがまるで働かないとしたら・・・。


人生の中で、どれほど自分本位な、怠惰な、有害な、あるいは不道徳な行為をしても、恥をまったく感じないとしたら。


そして、責任という概念は自分とは無縁のもので、自分以外のばかなお人よしが文句も言わずに引き受けている重荷、としか感じられないとしたら。


さらに、この風変わりな空想に、自分の精神構造がほかの人たちと極端にちがうことを、隠しおおせる能力というのもつけ加えてみよう。


この本は、人間関係に大きな気づきと教訓をもたらしてくれる良書だ。途中、哲学的で分かりづらい部分も若干あるが、それを差し引いても、かなりの良書だ。


話は、いろいろな種類の4人サイコパスとそれに関わる人々の具体的なエピソードを基軸に、そこから得られる法則や著者の分析を交えた構成になっている。エピソード部分は物語性があり、ノンフィクションとしても面白く読み進められる。そのため、退屈しない読みやすい部類の本だと思う。



本書では、至る所にサイコパスの行動パターンや思考パターンについての話が登場する。


一般的に彼らは努力を続けることや、組織的に計画された仕事はいやがる。 現実世界で手っ取り早い成功を好み、自分のすることをきわめて制限する。


サイコパスが職場で責任ある地位に就いていたとしても、その地位は実際に仕事をした量が判断しにくいポストであったり、実作業は自分が操作した人たちにさせている場合が多い。


そんな場合、利口なサイコパスはときどき派手なパフォーマンスをしたり、お世辞や魅力を振りまいたり、脅したりすることで、ものごとを進行させていく。自分を不在がちな上司やすご腕の上司、あるいはたぐいまれな「ピリピリした天才」に見せかける。頻繫に休暇や休み時間をとるが、そこ間実際になにをしているかは謎である。


サイコパスはほんの束の間、激しくなにか、趣味、計画、人との関係など、に熱中することがある。だが、のめりこんだり、後を引いたりはしない。そうした熱中はわけもなく突然はじまって、おなじように突然終わりを告げる。


サイコパスが最も欲するのは、人からの同情心。人は誰かに同情するとき、無防備になる。サイコパスは同情心を煽って相手を操作する。


サイコパスは、良心が欠けているだけではなく、愛ややさしさといった感情的体験を受けとめることができない


サイコパスは単独で活動することがほとんど。自分にしか興味がなく、チームプレイが下手だからだ。


かつてサイコパスに悩まされた人間としては、その一つ一つに、いちいち深く納得させられる。


サイコパスの行動を知ったとき、人びとは、「なぜあの人が、こんな恐ろしいことを?」という疑問を抱く。そして多かれ少なかれ自分の精神状態を疑いはじめる。そしてサイコパスがなにをしたか人に打ち明けると自分自身の正気が疑われるため、話すのをためらうようになり、口を閉ざしてしまう。


サイコパスの所業を知った人は、頭がおかしいと思われかねない秘密を、自分自身の中にしまい込んでしまうのだ。


本書の中で、良心のない人の種類が4つ示されている。

  • IQが高く上昇指向が強い場合
  • 野心家だが知能はそこそこの場合
  • 暴力的な場合
  • 寄生虫的な場合

本ブログで以前ご紹介したサイ子さんは、完全に「野心家だが知能はそこそこ」に当てはまる。


加えて、サイ子さんは「強欲さ」を併せ持つタイプのサイコパスでもある。所有することより奪うことを楽しみにするのだ。


この種のサイコパスは、他の人たちとおなじ恵みをあたえられていない自分は、人生で不当に扱われていると思い込む。そしてほかの人間の人生を密かに破壊することよって、おたがいの立場を同等にすべきだと考える。彼らのとる行動はあまりに突飛で、あまりに理不尽なことが多いため、私たちはそれが意図的なものだとは考えにくく、起きたということさえ信じられない。


また、魅力もサイコパスの大きな特徴だ。良心なき人びとの強烈な魅力やいわく言いがたいカリスマ性については、多くの犠牲者が口にし、学者たちもサイコパスの診断上の特徴として挙げている。


そして、サイコパスに感情らしい感情はないのだが、自在なニセの感情表現はサイコパスの得意技で、それは決して見抜けないほどの腕前である。役者顔負けの演技と社会的・職業的役割をフルに利用して、彼らは支配ゲームを展開する。サイ子が先生という肩書を最大限利用したように。


そして本書では、話の核心である「サイコパスの正体」について、納得のいく明確な答えが示されている。


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サイコパスの正体

過去、サイコパスに長く接してきた自分は、正にこれが「答え」だ、と腑に落ちた。


それは、一言で言うと、「良心をもたない人間」、つまり、この本のタイトルと同じなのだ。


もう少し噛み砕いて言うと、サイコパスとは、良心に由来する感情である「きずな」「愛着」「幸福感」「道徳心」などを持たないため、それ以外の感情や欲求である「肉体的苦痛や快感」「支配欲」「短期的な欲求」「勝利感やそこから生まれる怒りや渇望」「肉欲」「恍惚感」などだけで生きる人間のことである。


本書の中の表現を使い、サイコパスの、より具体的な特徴を列挙する。自分が接したサイコパスも正にこの通りだ。


他人との絆が結べないため、その代わりに支配ゲームに走る。他者との絆を欠いたとき、人は巨大なチェスに似たゲームの指し手になり、ほかの人びとを駒として扱う。それがサイコパス的な行動と欲望の本質。


自分以外の人間には関心がない。サイコパスにとって「ゲームがすべて」。逆に、一般の人間にとってはつながりが全てかもしれない。


感情的な愛着や良心を欠いた人間の心は、まさにこのような状態なのである。人生は競技にすぎなくなり、ほかの人間は楯として利用され、動かされてやがては捨てられるゲームの駒でしかなくなる。


サイコパスが持つ大きな願望の一つは、ほかの人びとを支配したい・勝ちたいというものなのだ。彼らにとって人生は競技なのだ。


感情的愛着や良心が欠けている場合、人間関係で残っているのは相手に勝つことしかない。きずなが結べずゲームに走る。


サイコパスは、責任をはたそうとしない。責任とは、自分にとって感情的に大事な個人や集団に対して感じるものだが、感情がないから責任が果たせない。


そして、サイコパスは自分にしか興味がない。人の心の動きを理解する能力が欠けているのだ。


サイコパスの感情は私たちとはまさに異質であり、愛や人間同士の前向きなきずなはまったく体験しない。そのため彼らの人生は、ほかの人びとにたいするはてしない支配ゲームについやされる。


サイコパスに良心が欠如しているだけでも悲劇的なのに、それだけではなく、愛ややさしさといった感情的体験を受け止めることができない。良心は愛する能力を欠いては存在しない


なにかに真剣に没頭することや、毎日訓練を重ねて美術や音楽その他の創造的な力を磨くことは、サイコパスにはまったく向いていない。偶然による成功が、ときたま訪れるかもしれない。だが、根気よく情熱を傾けることが芸術には必要だとしたら、大成はしないだろう。結局のところ良心のない者は、人にたいするときとおなじように、自分の才能と接する。才能の面倒をみようとしないのだ。


サイコパスは自意識が希薄で、他人ばかりか自分自信との関係も非常に希薄


これらは、サイ子さんの場合も同じことがあてはまる。彼女は、映画を見ても意味があまりわからと言う。また、食べ物の味も良くわららない(あまりおいしいと感じない)らしい。そのような人間が行き着く先は、それに代わるもの・・そう考えると、ある意味納得がいく。


そして、サイコパスは刺激に対する欲求が異常に強い。


サイコパスは、常に刺激を求める。スリル中毒とか危険中毒など、中毒という言葉が使われることもある。こうした中毒が起きるのは、刺激への欲求を満足させるには、感情的な生活が必要なためだ。


私たちはほかの人びととの意味のある結びつきや約束ごと、しあわせな瞬間やふしあわせな瞬間から刺激を受けるが、サイコパスにはこの感情的な生活がない。ときに心を痛めたり、ときにスリリングに感じたりと、人との結びつきから生じるたえず覚醒した状態を、彼らは経験することがないのだ。


サイコパスは愛も道徳ももたず、慢性的に退屈している。それは苦痛とも呼べるほどの退屈だ。そして刺激を得るために支配ゲームに走る。サイコパスは精神的に危険中毒で、人をあっと言わせたいという願望を強く持っているのだ。


そして、一般人もスリルを味わうのが好きな一面があるから、サイコパスに一時的に惹かれてしまったりする。


サイコパスは、普通の人間から見ると、心がからっぽなのだ。本人たちにはそんな自覚は全くないのだが。

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世の中で最大のタブーである「サイコパス」の存在

先日、あの地下鉄サリン事件から丁度20年ということで、テレビで特集が組まれてた。


その首謀者である麻原彰晃は、典型的なサイコパスと云われている。それは、wikipediaなどで彼の特徴を見ても直ぐにわかる。


※ちなみに、本書では、サイコパスの診断基準として、以下の7つの特徴のうち、少なくとも3つを満たすことが条件と紹介されている。
  • 社会的規範に順応できない
  • 人をだます、操作する
  • 衝動的である、計画性がない
  • カッとしやすい、攻撃的である
  • 自分や他人の身の安全をまったく考えない
  • 一貫した無責任さ
  • ほかの人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責を感じない

麻原は、教祖という立場を利用して人を洗脳・支配し、自分の手を直接汚さずに数十人の尊い命を奪った。


サイコパスの餌食となるのは良い人、洗脳されやすい人、物事を深く考えない人であるのは確かだ。しかし、「サイコパス」という種類の人間が存在することを皆が認識していれば、被害も拡大しなかったのではないか?


殺人鬼などの暴力的なサイコパスは表立ってクローズアップされることもあるが、そうではない大多数のサイコパスは、日々、周りの人を消耗させながらやりたい放題で生きている。


この本の内容を心底信じられるのは、きっと、私も含め実際にサイコパスに遭遇した人だけだろうと思う。


サイコパスの存在は世の中的にはタブー視されている。それも当然、なぜなら、世の中は、大前提として性善説(人間の本性は基本的に善であるとする説)によって物事が語られているからだ。


日々、気違いじみた事件が多く起きているが、この犯人はサイコパスで~ などとは決して報道されない。だから皆、何でこんな残酷なことができるの?などと 不思議そうに考える。自分も以前はそうだった。


善良な人びとは、悪魔の存在を信じたがらない。


だが、人は何にも増して誰かとの関係を求める生きもの。だから個々人が、相手が求めるに足る人間であるか、それぞれで見極めていく必要がある。


ネットの掲示板などを匿名で荒らしているのを良く見かけるが、実はそのほとんどはサイコパスか、それに近い人たちかもしれない。そう考えると合点がいく。全く別の人種なんだなと割り切れる


サイコパスについては、その周知を子供の頃からの教育に組み込むのは難しい。十分大人になってから、何らかの方法で皆に周知されれば良いと思う。


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最後に

25人に1人。ということは、100人の人がいたら4人がサイコパスなのだ。ちなみに本書によると残りの内訳は、
60人:疑いなく権威に従う
36人:良心と、自分の行動の重荷を背負う強さがある
となっている。


怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。 ニーチェ


サイコパスのことばかり考えていると、たまに頭がおかしくなりそうになる。夢にまで出てくることがある。


普段はサイコパスのことなんかはすっかり忘れて、いざ現れたときにだけ適切な対処ができるのがベストなのだろう。


サイコパスは「自分はなにも悪いことをしていない」と言いたがる。彼らに傷つくという感情はないのだから、そんなとき、肝心なときには、笑顔を見せず冷たく接することを忘れてはならない。


我々「良心をもつ人たち」は皆、サイコパスの見分け方と対処方法をしっかりと学ぶべきだ。





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